2008/12/09 [15:17] (Tue)
どうにもこうにも、この性格は損をする。
他人からの賞賛には、ただ顔を赤らめて謙遜しながらも受け取ればいい。
そこで否定を重ねてしまうのは、自分の成長を実感できないし
相手にも失礼に当たると思う。
しかしそれが出来ない人間なのだ、私は。
何かを褒められても、まず否定が浮かぶ。
この人ならばもっと上手くやると思ってしまう。
妙にハイスペックな人間が、周りにいるせいかもしれない。
(未だに両親には何一つ勝てない)
それと同時に、他人に対する侮蔑も浮かぶ。
大の大人ならば、このくらいすぐ出来ると思ってしまう。
実際、基準として比較する大人というヤツが
妙にハイスペックな人間達だからのせいもあるかもしれない。
(なぜかハイスペックだということだけは解る、実際凄いから)
標準的な基準というヤツが、どういうものなのか。
それを切実に教えて欲しい。
一人ひとり、基準というヤツは違うのだ。
それも解っているけれど。
しかし恥ずかしながら
私には自分の基準というものが解らない。
それは問題である。
習字で時々、他人の字を見ていると
教えることは出来る反面、その人物の可能性を潰してしまいそうで怖いのだ。
その子にあった基準というものが、いまだトンと把握できない。
見ているだけ、気をつけるべきところを言うだけである。
それだけでよいとは思うのだろうが。
そこでお人よしと、妙な世話焼きという性格が現出するのが厄介だ。
なんだか書いていて馬鹿らしくなってきた。
「普通の人間はそんなことを考えない」とよく言われる。
そうやって、また基準が曖昧になり、悩む羽目になる。
どうにかしてくれ、この性格。
絶対に何かを間違えたとは思うんだ。
他人からの賞賛には、ただ顔を赤らめて謙遜しながらも受け取ればいい。
そこで否定を重ねてしまうのは、自分の成長を実感できないし
相手にも失礼に当たると思う。
しかしそれが出来ない人間なのだ、私は。
何かを褒められても、まず否定が浮かぶ。
この人ならばもっと上手くやると思ってしまう。
妙にハイスペックな人間が、周りにいるせいかもしれない。
(未だに両親には何一つ勝てない)
それと同時に、他人に対する侮蔑も浮かぶ。
大の大人ならば、このくらいすぐ出来ると思ってしまう。
実際、基準として比較する大人というヤツが
妙にハイスペックな人間達だからのせいもあるかもしれない。
(なぜかハイスペックだということだけは解る、実際凄いから)
標準的な基準というヤツが、どういうものなのか。
それを切実に教えて欲しい。
一人ひとり、基準というヤツは違うのだ。
それも解っているけれど。
しかし恥ずかしながら
私には自分の基準というものが解らない。
それは問題である。
習字で時々、他人の字を見ていると
教えることは出来る反面、その人物の可能性を潰してしまいそうで怖いのだ。
その子にあった基準というものが、いまだトンと把握できない。
見ているだけ、気をつけるべきところを言うだけである。
それだけでよいとは思うのだろうが。
そこでお人よしと、妙な世話焼きという性格が現出するのが厄介だ。
なんだか書いていて馬鹿らしくなってきた。
「普通の人間はそんなことを考えない」とよく言われる。
そうやって、また基準が曖昧になり、悩む羽目になる。
どうにかしてくれ、この性格。
絶対に何かを間違えたとは思うんだ。
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